2009年 08月 29日
夏の思い出(国鉄旧型客車列車) |
まもなく子供達の夏休みも終わりです。夏休みの宿題に大わらわになっているご家庭もあるかもしれません。
子供の頃の夏休みをふと思い返すと、あの頃から鉄道には深い関心を持っていたことが思い出されます。
夏休みといえば海水浴。列車にゆられて海水浴に出かけたことが思い出されます。
いつのことかはっきり覚えていません(多分小学3年生頃、1980年前後でしょうか)が、大分発西鹿児島(当時)行きの客車鈍行列車に揺られて海水浴に出かけたことを思い出しました。
旧型客車による編成で、茶色や青色の客車、郵便車や荷物車といった国鉄時代ならではの編成だったと記憶しています。もちろん非冷房車で、鋼板製客車だったので暑さは並大抵のものではなかったです。
もちろん窓を開けて乗車しますが、車内はもちろん暑く、車体に触れると火傷するほどに熱かったです。
郵便車や荷物車では暑い中、肌着姿や上半身裸で作業をしていた職員が見受けられました。
車内は木製ニス塗りのクロスシートという味わい深い、レトロな作りでした。
そしてその老いた客車はED76電気機関車に牽引され、ゆっくりゆっくりと進み、各駅に停車していました。
まだ50系客車が入り始めたばかりの頃で、日豊本線では旧型客車による鈍行列車が多数運転されていました。それも大分~西鹿児島間とか、門司港~西鹿児島間など、とてつもなく長い距離を。
1980年代でも、日豊本線だけでなく、鹿児島本線を含む九州各線では本州から回されたお古の旧型客車による鈍行列車が多数走っていたと思います。
1984年4月(分割民営化3年前)時点での九州内の旧型客車列車の配置状況
(12系、14系、50系を除く)
門司局門司港運転所(計8両)
スハフ42:6両 オハ46:2両
門司局門司客貨車区(計39両)
オユ10:3両 スユ15:10両 スニ40:4両 マニ44:22両
門司局鳥栖客貨車区(計14両)
スハフ42:10両 オハ46:2両 オハ47:2両
大分局大分運転所
配置無し。オハ50、オハ12などが主体
熊本局熊本客貨車区(計39両)
ナハネ20:7両 ナハネフ22:1両 ナハネフ23:1両 カヤ21:1両 スハ43:3両 スハフ42:10両
オハ46:1両 オハ47:4両 スユ15:10両 マニ44:1両
鹿児島局鹿児島運転所(計20両)
ナハネ20:6両 ナハネフ22:6両 スハフ42:2両 オユ10:1両 オユ14:5両
で、民営化直前にあっても門司港運転所の旧型客車が門司港~大分間、鳥栖客貨車区の旧型客車が鳥栖~熊本、鳥栖~鹿児島間、熊本客貨車区の旧型客車が熊本~西鹿児島・鹿児島間、八代~西鹿児島間などで定期運転されていました。
また、熊本客貨車区、鹿児島運転所の20系寝台客車は、当時の夜行急行「かいもん」「日南」に連結されていたものです。急行「かいもん」「日南」には12系客車も連結されていました。
そして同じ1984年2月まではかの有名な旧型客車の最長距離鈍行824レ(門司~福知山間:山陰本線経由)も健在で、九州以外の地方路線にも旧型客車が多数配備されていたようです。
その後旧型客車は50系客車に取って代わられ、そして50系客車も津軽海峡線の快速「海峡」を最後にJRになってまもなく廃止され、客車普通列車はその時点でJRの定期列車からは消えていきました。
なお、旧型客車はJR東日本の臨時列車や大井川鉄道など私鉄や3セクにも現存しています。
客車列車にはノスタルジーを感じますが、やはり電車・気動車化はやむを得ない流れだったのだと思います。
やがて特急用寝台客車列車(14系・24系)も同じ運命をたどっていくのでしょうか・・・。
以前、仕事の関係で静岡に暮らしたことがありましたが、大井川鉄道にはまだ乗ってません。旧型客車を訪ねて大井川鉄道にでも乗ろうかな・・・。
子供の頃の夏休みをふと思い返すと、あの頃から鉄道には深い関心を持っていたことが思い出されます。
夏休みといえば海水浴。列車にゆられて海水浴に出かけたことが思い出されます。
いつのことかはっきり覚えていません(多分小学3年生頃、1980年前後でしょうか)が、大分発西鹿児島(当時)行きの客車鈍行列車に揺られて海水浴に出かけたことを思い出しました。
旧型客車による編成で、茶色や青色の客車、郵便車や荷物車といった国鉄時代ならではの編成だったと記憶しています。もちろん非冷房車で、鋼板製客車だったので暑さは並大抵のものではなかったです。
もちろん窓を開けて乗車しますが、車内はもちろん暑く、車体に触れると火傷するほどに熱かったです。
郵便車や荷物車では暑い中、肌着姿や上半身裸で作業をしていた職員が見受けられました。
車内は木製ニス塗りのクロスシートという味わい深い、レトロな作りでした。
そしてその老いた客車はED76電気機関車に牽引され、ゆっくりゆっくりと進み、各駅に停車していました。
まだ50系客車が入り始めたばかりの頃で、日豊本線では旧型客車による鈍行列車が多数運転されていました。それも大分~西鹿児島間とか、門司港~西鹿児島間など、とてつもなく長い距離を。
1980年代でも、日豊本線だけでなく、鹿児島本線を含む九州各線では本州から回されたお古の旧型客車による鈍行列車が多数走っていたと思います。
1984年4月(分割民営化3年前)時点での九州内の旧型客車列車の配置状況
(12系、14系、50系を除く)
門司局門司港運転所(計8両)
スハフ42:6両 オハ46:2両
門司局門司客貨車区(計39両)
オユ10:3両 スユ15:10両 スニ40:4両 マニ44:22両
門司局鳥栖客貨車区(計14両)
スハフ42:10両 オハ46:2両 オハ47:2両
大分局大分運転所
配置無し。オハ50、オハ12などが主体
熊本局熊本客貨車区(計39両)
ナハネ20:7両 ナハネフ22:1両 ナハネフ23:1両 カヤ21:1両 スハ43:3両 スハフ42:10両
オハ46:1両 オハ47:4両 スユ15:10両 マニ44:1両
鹿児島局鹿児島運転所(計20両)
ナハネ20:6両 ナハネフ22:6両 スハフ42:2両 オユ10:1両 オユ14:5両
で、民営化直前にあっても門司港運転所の旧型客車が門司港~大分間、鳥栖客貨車区の旧型客車が鳥栖~熊本、鳥栖~鹿児島間、熊本客貨車区の旧型客車が熊本~西鹿児島・鹿児島間、八代~西鹿児島間などで定期運転されていました。
また、熊本客貨車区、鹿児島運転所の20系寝台客車は、当時の夜行急行「かいもん」「日南」に連結されていたものです。急行「かいもん」「日南」には12系客車も連結されていました。
そして同じ1984年2月まではかの有名な旧型客車の最長距離鈍行824レ(門司~福知山間:山陰本線経由)も健在で、九州以外の地方路線にも旧型客車が多数配備されていたようです。
その後旧型客車は50系客車に取って代わられ、そして50系客車も津軽海峡線の快速「海峡」を最後にJRになってまもなく廃止され、客車普通列車はその時点でJRの定期列車からは消えていきました。
なお、旧型客車はJR東日本の臨時列車や大井川鉄道など私鉄や3セクにも現存しています。
客車列車にはノスタルジーを感じますが、やはり電車・気動車化はやむを得ない流れだったのだと思います。
やがて特急用寝台客車列車(14系・24系)も同じ運命をたどっていくのでしょうか・・・。
以前、仕事の関係で静岡に暮らしたことがありましたが、大井川鉄道にはまだ乗ってません。旧型客車を訪ねて大井川鉄道にでも乗ろうかな・・・。
by nitsuho
| 2009-08-29 19:35
| 2009年6月まで(鉄道)